今から…もう20年以上前になってしまいますね。
タミヤ派、京商派が2大派閥で、その他マニアックなところでヨコモとマルイが少数派でしたね。
今ならばヨコモのスパードッグファイターあたりに手を出すと思うのですが、当時まだ毛も生え揃ってないようなおぼこい僕は、友達が買ったオプティマの上級グレード、ターボオプティマ一択でした。
それでも、おぼこいなりにプラパーツてんこ盛りでシャフトドライブのタミヤ製には見向きもせず(ホットショットはカッコ良かったと思います)、金属パーツ満載でチェーンドライブの京商製を選んだあたり、当時から別格の匂いをプンプンさせとったんですねぇ。
今はどうなんか分かりませんが、当時の組み立てキットのラジコンって組み立てる人によって速さがだいぶ違いましたよね。
周りの友達が自分で組み立てたる中、僕はっていうと当時高校生だった兄貴に組み立ててもらったので、組み立てる楽しみは味わえませんでしたが小学生と高校生の組立精度の違いというか、格段に速さが違いましたもんね!
そして、7.2Vを蹴散らす8.4Vパワー!フルボールベアリング!足元を引き締めるプレッシャーダンパー!おケツには赤く輝くル・マン240S!
小学生には持て余すようなオモチャでした。
そして中学生になるとお小遣いもちょっとだけ増えたこともあって、サーボ+スピコン式のアクセル制御から主流になりつつあったアンプ式のアクセル制御に心を奪われまして、サンワ(これまた懐かしいワードを思い出してしまった)の廉価版アンプを入れてみたんですが、今思えばそれほど変化は無かったような気がしますが、その時はスゲェ!速ぇ!とすんごい感動した覚えがあります。
更に翌年のお年玉全部注ぎ込んで、スーパーボルテックス入れた時は震えましたよ。
同じ時期にアンプを入れるのと並行して、レーシングクラッチ入れて、モーターガードとヒートシンク入れて、ミニバンパーに変えて(これはクラッシュするとフロントの足回り一式潰れるんで、すぐに純正のバンパーに戻しました)、ジュラウイング入れて、プロポを当時最新型のホイル式マシーンエースに変えて…今思えば、どこにそんなお金あったんですかね。
末っ子特権乱発させてくれた両親と兄弟に感謝です。
とまぁ、主に外観中心にぼちぼち弄りつつ、モーターのチューンにどっぷりハマった中学校時代。
ル・マンの240系の…番手は忘れてしまいましたがグリーンのアルマイトがきれいなモーターにベアリング追加して240Sのローターブチ込んだやつが強烈に速くて、0-40m(距離は適当でしたが)レースでは無敗でしたよ。
同メーカーの京商からオプティマミッドシリーズが出たりして、直線スピードだけでも後発に負けてたまるかと必死になっとったんでしょうね、その後も360系のル・マン弄ってみたり、社外品の高価なモーター入れたりして直線番長の座は死守してました。
弄り倒した最終完成形はアクセル全開の原チャリ軽く抜けたんで、70km/h近くは出とったと思います。
友達の家に忘れてきて、そのまんまどっか行ってしまったんやな確か。
写真くらいとっておけばよかった…もったいないことした。
先に書いたエアガンもそうですが、人と同じなのが嫌、箱出しのまま使うのが嫌、というのは小学生の時から変わってないみたいで、ラジコンとかエアガンから釣り道具に興味が移っただけでやっとることは今も変わらんのですね。
いかん、ラジコンとエアガンすげぇ欲しい。