2013-01-04

懐かしい話① エアガン

僕が小学生のころは、18禁って設定も無かった(ような気が)し、抜き身で持ち歩いててもお咎めなしやったりした微笑ましい時代やったのですが、今はBV式のガス銃持ってるだけで銃刀法違反になるみたいですね。

兄貴のマルゼンのカート式ミニUZIを時々こっそり持ち出して、近所の公園でサバイバルゲームごっこしたことから始まって、
①メーカー不明のカート式ルガーP08 ※組立キット
②LSのXM177-E2 ※組み立てキット
③兄貴のをくすねたMGCやったかのAR-7
④お年玉で買ったはいいものの、純正のガスボンベではまともに動かんかったJACのAR-18
⑤なぜかこの時期に、サカエヤのKG-9ニンジャカスタム
⑥アサヒFAのスターリング
ここでいったんエアガンから離れて

⑦マルイのクルツで電動の面白さに目覚める
⑧マルイのMC-51
⑨ガレージガンワークス(確かそんなメーカ名)のキットで電動FAL ※フルメタルで10万くらいした
⑩アサヒFAのFNCを電動化しようとして挫折
⑪ファルコントーイのガリルを電動化
⑫JACのAR-18④を電動化しようとするがめんど臭くなって 放置
⑬やっぱ純正ドノーマルが一番ってことで、マルイのAK-47

と、思い出せるだけで色々買ってましたね。
酷くお金がなかった時に全部換金してしまいましたが、一番思い出に残っているのは④ですね。
動かんでいいから、今となったら観賞用に一丁欲しいくらい。

AR-18 wiki


①~⑥はサバイバルゲームとはいっても、まだまだ子供の財力なので「ごっこ」の域を逸してませんでしたが、今思えばあれはあれで楽しかったなぁ…友達が持ってくるスーパー9(もちろんそいつの兄貴のもの)が強敵でした。

⑦以降の電動ガン時代は、兄貴と二人で南アフリカ軍のフル装備で大きな大会に参加して、コンバットマガジンやったかアームズマガジンやったかに写真載ったこともありましたねそういえば。
我ながら別格やったもんなぁ。
所属しとったチームと滋賀県のチームとで交流戦するぞーって、当時は凄い遠く感じた竜王まで正月早々から遠征したり、今はサクラマス釣りでウェーディングしている地元河川ですが、当時は河川敷でサバイバルゲームする時に渡河作戦や!とか言ってわざと腰まで浸かって迂回して、側面から撃ち放題ウヒヒのはずが、思いっきり味方に誤射して嫌な顔されたのも良い思い出です。

今となっては、わざわざ改造しなくともFALとかFNCの海外製の電動ガンがありますが、ここはひとつマルイからAR-18の電動ガン出ん…やろなぁ。
よし、今年はとりあえず何か一丁買って、釣り行った時に地雷仕掛けるグッさんかナッキーさんのケツでもハチの巣にしてみるか。

気分悪い

何がってね、今日から出張で名古屋に来とるのですが、12/28から年末の休みに入る前は1/4~1/6で予定入れられとったんですね。
ほんで、仕事始めの今日(1/4)PCでメール確認したら、12/29に届いたメールで1/4~1/9の予定に変更されとったんやで(震え声)

12/28~1/3まで休みやって知っとるのに、12/29にメール送っただけで予定変えられてもね。
予定が伸びるなら伸びるで、事前に分かればこっちも色々準備してくるのに。
僕のこと、なんでもいうこと聞く手下かなんかと勘違いしとるんやろか彼は。
彼が(勝手に)大変(がっとる)なのは見ててすごく分かり易いのですが、それは今の体制じゃマズいってことを社長に認識させられんかった、自分の責任やってことを彼自身が全く分かっとらんのが問題です。
『社長には何回も言うとるんやけど…』っていう聞き飽きたセリフは言い訳にすらなってないし。
そんだけ上長に対するアピールが下手な自分を恥じるべきなんですけどね。


『それならば、ここは自分が先頭に立って悪くなってしまったものを良くしていこう!、という気持ちが無いのかねキミには!?』
と問われたとしても、今は奮起してもデメリットしかないのは明白なので、面倒な事はえらいひとたち(笑)に任せておいて、僕は自分の好きな事だけ考えるようにしています。

本気出すと人の3倍は仕事するんですけどね、僕だってやるときゃやるんですよ。
ただ、 仕事で本気出す頻度が人の1/3以下なだけで。

カニ地獄

年始は、すき焼き地獄とカニ地獄でした。
しばらくどっちもノーサンキューです。


ほんで家帰ってきたら、補充弾薬第一弾が届いてました。


海アメもろたも同然でしょうこれは。
こないだの新作を海で使うのもったいないので、急いでグッさんにもう一本組んでもらわないかんね。